2016年01月18日

続・或るひねくれ親父の一生

続編は思い出を中心に。

[幼少期]
両親が幼少期に離婚しており、祖父はどちらかというと父親替わりだった気がします。
祖父と母が会社勤め、祖母とふたりになることが多く、祖母に怒られていると、祖父が慰めてくれました。幼稚園年長から書道教室に通いましたが、いつも送り迎えをしてくれました。小学校低学年の頃は会社から帰ってくるとまだ明るいうちはキャッチボールや野球の真似事を一緒にしてくれました。今思えば会社も大変だったろうに…。楽しい思い出です。年末には決まってジャンボ宝くじを買いに行きます。まだ小学3年位の頃だったか、よく当たりの出ることで有名な名駅の売り場まで2人で行きました。「遠いな」と言いながら歩いて帰ってきたのを覚えています。
小学校低学年の頃は夏休みは1泊2日で日間賀島に行くのが定番でした。直前まで仕事でいつもヒヤヒヤでした。定番というか、ワンパターンなのも祖父の特徴でした。高学年になると、祖父は留守番というパターンばかりで、そういえばそれ以来一緒に旅行には行けてません。残念といえば残念です。
小学6年の時には曾祖母(祖父の実母)が亡くなりましたが、それまで介添えなどもしていたので、そういったこともあるかもしれません。
ヘビースモーカーであったり、時に暴力があったりで、嫌な思い出もあるけれど、懐かしい思い出がいっぱいです。

[少年期]
もともとお互い口数が少ないこともあり、中学校に入ってからは会話が少なくなっていったように思います。基本的に口が汚く、イライラしている風だったので、あまりこちらから話す気になれないということもありました。
そんな祖父が、高校3年生になる春に倒れました。脳梗塞でした。受験生としての生活が始まるのに…と、将来への不安も感じて暗澹たる気持ちになりました。このときは一命を取り留めましたが、次の冬には風呂で溺れるということが起き、これも某校受験の前日で風邪気味の日、雪の降る寒い夜でした。救急対応でこのときもなんとか助かりました。
それからは闊達な祖父ではなくなってしまいました。
大学は東京に出たので不安でしたが、1年目のGW頃に遊びに来てくれました。
体力が落ちていただけに、上京できたのはある意味すごいことだったように思います。

[青年期]
就職はかつての競合会社からお声がけをいただいたことで決まりました。
その裏で後継となっていく自分に、いろいろな形で配慮してくれたことが今の自分につながっています。社会人になってから2年目に大きな手術がありました。心臓バイパス手術です。8時間に及ぶ大手術は成功しましたが、あと3年持てば良いと言われました。
その後は老化とともに軽い認知症と思える症状が出るなどの衰えはあったものの、概ね元気で過ごしていました。ただし、ひねくれていてせっかちな性格はそのままで、介添えをする祖母は、特に昼間は老老介護といった様子で大変でした。祖父と祖母は日常的に口論になったりして結構険悪ムードを漂わせていました。
昨年秋はもう行けなくなってからでは遅いと、温泉旅行を提案したのですが、祖母は「あの人と一緒に行くのは嫌」と拒絶、断念しました。寂しかったですね。
引退したら、いろんなところへ旅行に行きたいという話だったのですが…。
普段はボケボケなことをしていたのですが、会社の話になれば正気でした。
一線を退いたあとの人生が彼にとってどんな意味をもったかはわかりません。仕事に生きてきた祖父が家族と過ごすことのできる大切な時間だったということもできるでしょう。
この正月は昨年に続いてお墓参りをし(一時期は体調を考慮して連れて行っていませんでした)、日置神社という氏神様も詣でました。
今ではひとつひとつが思い出です。

[そして]
その日もいつもどおりの日曜日でした。自分は母と共通の用事にでかけ、また多度大社に行きました。そのお土産には「雨ごひ傘」と味噌松風、そしてお守りも買ってきました。
帰ってからは雨ごひ傘という最中で母がお抹茶を点てました。美味しそうに食していました。夕食もみんなで鱈のムニエルを食べ、新しい大河ドラマ「真田丸」も観ました。
それから普段より15分ほど遅くお風呂へ。いつも祖母が10分おきくらいに様子を窺っているので、ほんとに一瞬の出来事だったように思います。なかなか出てこないので扉を開くと異変が起きていました。祖母が叫んだので、すぐさま駆けつけましたが、洗い場で倒れていて、かつて風呂で溺れかけたときのことがフラッシュバックしました。
でもそのときとは違って、意識もなく、心肺停止状態。諦めきれず、心臓マッサージをしつつ、途中で母に代わり救急車を呼びました。なんとか戻ってきて欲しいとそれだけを願いましたが、救急病棟でもやはり戻ることはありませんでした。
長寿を願った日に逝くとはなんたる天邪鬼。あっけなさすぎてなんだか信じられません。
本人にも「死んだんだよ」と言っても「そうかー?」と返ってきそうです。
湯灌、納棺と丁寧にやっていただいたこともありますが、内臓系の病気でやせ細ったということもないので、死に顔は安らかでただ眠っているだけのようでした。
通夜、葬儀と続きましたが、何をするにも涙が止まりませんでした。
一時期は嫌悪感すら抱いていたのに、ただただ悲しかった。
直前まで元気だっただけに、あっという間に骨だけになってしまったのが非現実的で辛かったです。
いろいろな思いもあるけれど、ひとつの時代を気づいた祖父をリスペクトしたい。
そして感謝したいと思います。祖父の灯した炎を絶やすことなく、走って行きたいと思います。


karnak at 23:23コメント(0)トラックバック(0) 
徒然草 

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