2016年01月16日

或るひねくれ親父の一生

1月10日日曜日の夜、祖父が他界しました。
昭和5年生まれ、享年87(満85)。
燃料卸会社の創業家の長男として生まれました。
ちょうど、幡豆一色の家から名古屋へ出てきた頃だったようです。
戦時中は疎開なども経験し、長男として大変な思いをしたと聞きます。
戦争末期、会社は企業統制を受ける中、休業を余儀なくされました。

さいわい、戦災は免れましたが、石炭の需要は薄れ、父親が配炭公団の理事をしていたこともあり、祖父はイチからの出発となりました。
兄弟会社が新しく旗揚げするなか、祖父は着火練炭の特許を得、それを元手に再出発を果たします。
社内外から反発を受けながら、池内町にガソリンスタンドを開業。続いてオートガススタンドを開業しました。戦時中での出費から、資金繰りに厳しい中、祖父は直向きに燃料の道をひた走ります。

古参の社員の奮闘はあったものの、業務拡大の中では敵を作ることも多く、孤独な闘いだったと思います。それでも最大で6SSを経営していました。
しかし、時代は巡り、バブル崩壊、ガソリンスタンドの規制緩和、セルフスタンドの普及が進むと、次第に力は衰え、次々と店を閉鎖せざるを得なくなってきました。
赤字が続き、借入金も増えていました。
祖父の力ではもはや収拾がつかなくなっていたのかもしれません。
時代を担う娘にバトンタッチを決意したのはちょうどその頃で、その矢先、祖父は倒れました。

2001年3月31日朝、いつものように雨戸を開け祖父が倒れ込み、起き上がれなくなっていました。70歳の春、脳梗塞でした。
すぐに病院で診断を受け、早い処置のおかけで障害も比較的軽度でしたが、それまで走り続けてきた祖父は大きなショックだったかと思います。手足には痺れが残り、闊達に話し、歩くことはかなわなくなりました。

翌年の2月、雪の降る寒い夜でした。祖父は入浴中に居眠りをしたのか、意識を失って溺れかけていました。
祖母が発見し、2人で必死に引き上げ、救急搬送、一命は取り留めました。
それからも2,3度ふらふらと倒れることがありました。血流が悪く、酸欠状態になることも一因ということでした。
7年前にもうひとつ大きな手術がありました。頚静脈が細く、かつ血栓ができており、脳梗塞・心筋梗塞の危険があるということで、心臓バイパス手術を決断。8時間にも及ぶ大手術は成功しましたが、体力は落ち、もってあと3年と言われました。
それでもその後は内臓系の病気になることもなく、テレビの番をしながら元気そうに過ごしていました。

当日もごく普通の日曜日を過ごしていて、夕食も家族と一緒に食べ、大河ドラマ「真田丸」の初放送を観ていました。そのあとの入浴中、洗い場で倒れていました。
いつも入浴についても祖母が気にかけてちょくちょく様子を見ているので、本当に直前まで大丈夫だったようです。祖母に呼ばれて必死で心臓マッサージをしつつ、救急車を呼びましたが、今回はどうにも戻ってきませんでした。倒れた時点で意識はなく、心肺停止状態。CT検査によると「腹部大動脈瘤破裂」とのこと、腹部に出血があり、出血性ショックがあったということでした。

祖父は昨年は春頃と年末に大仕事をふたつもしていました。
仕事に生きてきた祖父にとって、世話を焼かれ、テレビの番をするしかない時間はストレスになったこともあったように思います。死に顔はとても安らかでした。きっと、片付けなくてはならないことを終えてホッとしていたのかもしれません。
この正月は墓参りに行き、何年かぶりに氏神神社を詣でました。もう何度も行けないかもしれないという思いもあってのことでしたが、今ではいい思い出です。


karnak at 14:02コメント(0)トラックバック(0) 
徒然草 

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